Mr.JOURNEY

旅人的キャリアを突き進む小学校教員の雑記ブログ。

小学校教員の生き方や仕事術を教えてくれた先輩教師の言葉



タビセンです。

今回は自分が臨時採用として小学校で勤務していた時期に出会った多くの先輩先生方からいただいた言葉を紹介します。

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いろんな人がいるからねぇ

都市部の大きな学校で隣の机のおじいちゃん先生からいただいた言葉です。

当時、まだ精神的に若かった自分は田舎の学校勤めを終えて都会に出てきた時、都会の先生方のバラエティに富んだ働き方にすごく驚いていました。テキトーに仕事する人、毎日学級通信を出すマメな人、意地でも4時半に帰る人、日が変わるまで学校に残る人。都会のマンモス校にはいろんな先生がいました。

自分はそんな先生方を見ては、「あんな働き方じゃ子供達がかわいそう」とか「通信出さないとか熱意無さすぎ」などと、自分と異なる価値観の持ち主達の影口を言っていました。そんな若い自分の話を聞いていたおじいちゃん先生がゆっくりと返した言葉が「いろんな人がいるからねぇ」という短い言葉でした。

この先生は自分が心から尊敬していた方です。そんな先生からこの言葉をかけられたことで、「みんなが同じである必要はない」「違いを認め合う」「教育にはいろんな形がある」など、自分の価値観が大きく更新されました。

あれから長い時間が経った今でも、同僚を理解する時や子どもを理解する時など、いつもこの言葉を思い出しています。

担任が3日間いなくても荒れないような学級を作ればいいよ

田舎の学校で40代の男性教員からいただいた言葉です。

担任が指示しなくても、シンプルなルールの下に子ども達が自分で何をすべきか判断できる学級こそが理想じゃないかという話です。毎日同じ指示を出すよりも、1日目にルールを教えて二日目からは黙って見守る方がいいよということです。

指示をしない学級とは、完全な自由を与え放任するものではありません。判断基準となるシンプルなルールがあるからこそ子ども達は安心して生活ができます。

今まで、担任が信用を失い学級が崩壊する瞬間を何度か見てきましたが、そのどれもが、担任が常に大声で指示を出し続ける学級でした。

子どもが話を聞かないんじゃない、教師が話を聞かせられなかったんだ

24歳の時に30代の先輩からいただいた言葉です。子ども達が熱中する素敵な授業を1年続けることができる方で、自分はいつもその先生の真似をしようとしていました。

この言葉は教師の説明についての格言ですが、説明に限らず教師のすべての行いに通ずるものだと思います。

「子供達が話を聞けない。だめな子達だ。親の顔が見てみたい。」

「子供達に話を聞かせられなかった。次は話し方をどう工夫しようか」

どちらのマインドが小学校教員としてより成長していけるか。言うまでもありません。

親は誰も学校の業績なんて気にしちゃいない

ここ10年の間に、学校という組織はずいぶんと外部の評価を気にするようになってしまいました。私たちの学校はこんなに素晴らしいことをやっています!数字がこんなに上がりました!最先端の教育が!研究が!地域連携が!あうぇろうがhwrぎ!!

参観日など保護者の方々が集まる機会や学校だよりなんかでもそういう説明が多くなされているのを見ては自分はいつもうんざりするのですが、つい最近、数年前に退職した校長先生とお会いした時にこんな言葉をいただきました。

「タビ先生、この立場だからようやく言えるんだけどね、親は誰も学校の業績なんて気にしちゃいないんだよ。それどころか学力だってそこまで重要視していない。我が子の安全と笑顔!その2つが保証されているかどうかをとにかく知りたいもんなんだ。」

全国学力学習状況調査、いわゆる学テが始まって以来、全国の教育委員会が必死に校長教頭の尻を叩き、あの県に追いつけ追い越せとやっていますが、自分は教員として、また一人の親としても大切なものを見失わないようにしようと思います。

楽しくてわからない授業はつまらなくてわかる授業より良い

一見、迷言のように見えますが、自分は素敵な言葉だと思います。

教員の一部に、仮説実験授業という授業スタイルを追求する人たちがいます。この言葉は同じ職場にいた仮説の先生から教えてもらったもので、以降、自分も仮説実験授業の考え方を独学で学ぶようになりました。

楽しくてわからない、それはつまり、その授業では理解までたどり着くことはなかったものの、興味関心を強く印象付けることができたということです。興味関心があれば人間はそれに没頭できます。抵抗感がなくなります。いずれ理解に至るでしょう。

一方、つまらなくてわかるというのは、意欲関心が高まらないままひたすら丸暗記で詰め込まれた知識と捉えることができます。

これについては賛否両論あると思いますが、自分は前者の方にその子の未来を感じます。

短所は長所だよ

これも仮説の先生からいただいた言葉です。

無口とは思慮深いこと

落ち着きがないのは好奇心旺盛

怒りっぽい子は真剣に生きている子

短所とは、見方を変えれば長所になる。人の多様性を認める、素敵な考え方だと思いました。自分の特徴を長所として見てくれるような環境を選ぶ能力こそ、これからの時代に求められる力だと思います。

自己否定の声を聞く

上の方で紹介した「話を聞かせられなかった」の言葉と同じ意味のものです。

自分のやった行いは本当に正しかったのか、それを自問自答することで教師は成長する。その声が聞こえなくなった時、成長は止まりやがて傲慢な教師となっていく。

自分より年下の先生が夜の職員室で熱弁していた言葉です。遠くの席から盗み聞きのように聞いてしまった形でしたが、共感できる言葉でした。

俺がいたらみんな仕事しにくいだろ

ある校長先生の言葉です。その先生はほとんど職員室に顔を出すことはなく、ずっと校長室で1日を過ごす方でした。職員室で豪腕を振るったり校内をうろうろする校長が多い中、人間としても上司としても尊敬できるこの先生がなぜ校長室にこもるのか、気になって聞いてみた時の返事がこれでした。

校長の視線というのはどうしても気になるものです。この先生は、職員が働けるように気を遣って意図的に姿を隠していたわけです。保護者対応など重要な場面では姿を現し矢面に立ったり、自分が落ち込んでいる時を見計らって飲みに誘ってくれたりと、この先生には今でも尊敬と感謝しかありません。

発達障害とは芽の上に置かれた石。教師の役目とは芽を掴んで引っ張ることではなく、その石をどけること。

上の言葉と同じ校長先生からいただいた言葉です。

発達障害のお子さんに教師はどう接するべきか、どう指導するべきか、それを短い文で言い表した名言中の名言だと思います。自分の担任する学級に発達障害と思われる、もしくは診断されているお子さんがいる場合、自分はこの言葉に従って支援をしています。

子どもには成長していく力がある。でも時々植えられた種の上に石が乗っかっていて、出てきた芽がまっすぐ成長できない場合がある。そんな時、その石を誰かがどけてあげれば、芽は自分の力でまたまっすぐ成長できる。

発達障害のお子さんを決して特別扱いするわけじゃない。本来の成長する力を発揮できるように、石をどけるような支援をする。それが教員がやるべき仕事だと思います。

論理的に叱り、感情的にほめる

これは向山洋一さんの本から学んだ言葉です。自分は駆け出しの頃、これの真逆をやっていました。感情的になってギャーギャー叱り、ほめる時はなぜか冷静に良かった点を淡々と喋る。

今考えると違うなと思います。叱るときは悪かった点を短く伝える、良い時は感情的に一緒に喜ぶ。それでいいじゃないですか。向山洋一さんは信者もアンチも大勢抱えている有名人ですが、その多くの著書からはたくさんの気づきを得させてもらいました。

子どもは結局メシを食わせてくれる人に懐くのさ

共働きで教員をやっているおじさん先生が教えてくれました。その先生は毎日4時半に退勤し、3人の子どもの夕食を作っている方でした。

子どもの心身の不調や家族関係の悩み。実はその大部分は食事と睡眠に起因するものです。この先生の言葉は極論のようで、的を得ている言葉だと思います。

ちなみに、猫を飼うともっと露骨にこの言葉が理解できます。

5年生だけ放課後残しましょう

名言ではありません。迷言です。

ある管理職が言った言葉で、6年生の4月に行われる学テに向けて、5年生だけを放課後残して学テ対策の居残り勉強をさせようという提案でした。

これ、どう思いますか?

 

さいごに

こうして言葉を並べて思うのは、自分が教員として成長し生き残ってこれたのは、周りにいた同僚の先生方の支えがあってのことだなということです。経験した職場が人より多い自分の場合、一般的なキャリアを歩く人よりもかなり多い人数の先生と出会ってきました。そして学ばせてもらいました。

決して優秀ではない自分は、今後もいろいろな人と関わりながら、気づきを拾い学んでいくことになると思います。「いろんな人がいる」の精神を忘れず、異なる価値観の持ち主を否定せずに交流していきたいと改めて思いました。