感覚過敏の子を受け持った体験談と小学校の給食指導について思うこと



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ここ数日、ツイッターで感覚過敏の話題を何度か目にしました。

その中には、学校教育に対する不満や要求もありました。
自分自身、小学校における感覚過敏の子達への指導については思うところがあります。

もっと改善されてほしいなと感じることが多々あります。
今回は感覚過敏について自分が思うことを、学校教育の内側から発信したいと思います。

ある日の給食時間の光景

舞台はそれなりの規模の小学校の1年生教室。
4時間目の終わりを告げるチャイムが鳴り、子供達は覚えたての給食準備を始めます。
元気な1年生もおとなしい1年生もみんなお腹が減っています。

なので早く食べようと協力してせっせせっせと給食準備を進めていきます。

そんな中、当番の子の1人が準備に参加せず、教室の出入り口近くで下を向いて立っていました。

周りの友達が「仕事しようよ」「早く食べようよ」と声をかけるのですが、その子は、
「臭い!そんなものに近づきたくない!食べたくない!」と大声で叫ぶのです。
それを聞いた周りの子たちは「食べ物にそんなこと言ったらだめだよ。好き嫌いはだめだよ」
と言うのですが、その子は
「うるさい!ほっといて!」と言って教室を出てしまいました。
担任の自分がその子を追って教室を出ると、廊下の隅の掃除用具箱の裏にその子はうずくまっていました。

タビセン「給食が嫌いなのかい?」
1年生「給食は嫌いじゃない。鶏肉が嫌い。臭くて食べたくない。」
タビセン「じゃあ鶏肉はいいから他のものを食べに教室に戻らないかい?」
1年生「教室は嫌だ。今は臭いから入りたくない。」

この日は結局、涙を流しながらそう答えたその子のために、空き教室でパンと牛乳だけを食べさせることにしました。

お腹を空かせていたその子は、やがて泣き止んでパンを食べました。

その子の行動は甘えやワガママなのか

感覚過敏という言葉を聞いたことのある人であれば、このシチュエーションを聞いてピンときたことと思います。
この女の子は決して食事が嫌いなわけでも仕事が嫌いなわけでもありません。

むしろ面倒見がよく率先して仕事や人助けをする子でした。

給食のおかわりも多い方でした。

勝ち負けにこだわり失敗に弱いところはありましたが、毎日笑顔で友達と遊ぶ子でした。
そんなこの子が人目をはばからず大泣きや絶叫をしてまでこの日の給食を拒否したというのは、単なる好き嫌いで片付けられる話ではありません。
大人の我々にも耐えがたい臭いというのはありますよね。アレとかアレとか…
その子にとって鶏肉の臭いや味というのは、まさしくその類のものだったのでしょう。

特別支援の知識の深い先生とも相談した結果、この件はワガママや機嫌の悪さではなく、感覚過敏に起因する行動であると仮定して指導にあたることになりました。

具体的にどう対応するか

結論から言えば、「環境調整」です。
まずは鶏肉を食べないという行動を、ワガママと捉えるのではなく、「耐え難い苦痛から逃れようとしている」と捉えます。
そして、その苦痛からその子が無事に逃れられるように、味や臭いから離してあげることが必要です。
この子についてはその後お母さんと話し合いをし、苦手な食材が出る日はお弁当を持ってきて空き教室で食べさせることに決めました。

お母さんは「学校だから我慢して食べなきゃだめだと思っていました。鶏肉が苦手だということをもっと早く学校に言えばよかったです。」とおっしゃっていました。

何か一つの食材を食べることができなくても、ほかの食材から同じ栄養を摂取することはできます。

教育の場ですから多少の我慢は必要ですが、心身が全力で拒否してしまうようなことまで我慢させる必要はありません。

無理強いは失敗という結果を生みこだわりを強めるだけです。

いつか子供がその食材に興味を示す時がきたら、その時初めてほんの少しの量から食べてみればいいんです。

 

給食を完食させる指導について

「うちの学級は全員が完食できた日はみんなで万歳します!」「全員が完食できた日をグラフにして連続何日達成できるかチャレンジしています」といった指導をされる先生をよく見かけます。
指導には色々なやり方があるということは理解していますが、自分個人の意見としては全員完食を求める指導は好きではありません。

少食の子、発達障害の子、感覚過敏を抱える子の存在とその苦痛を無視しているからです。
全員が完食することに何の意味があるのでしょうか。
子供に言うことを聞かせられる自分を誇示しているのでしょうか。
どこかからの評価を求めているのでしょうか。
単に面白がって思いつきでやっているのでしょうか。

食わず嫌いやワガママに対する指導がしたいのであれば、「苦手なものも一口は食べようね」ぐらいでいいじゃないですか。

同調圧力に任せた教育は、そこにはまれない側の子供達を不幸にするだけです。
教育に必要なのは画一性ではなく多様性。

給食指導も「いろいろな子がいる」という前提の下に全ての子の幸せを願って進めていきたいと自分は考えます。